私が通訳を目指した原点
- エディ先生
- 3 日前
- 読了時間: 6分
~アポロ11号の月面着陸と、通訳という仕事への憧れ~

皆さんは「通訳者を目指したきっかけ」ってありますか?
私の場合は、今から56年前、1969年7月20日(日本時間では翌21日)。人類が初めて月面に降り立った、あの歴史的瞬間でした。
中学生だった私は、テレビの前で息をのんでアポロ11号月面着陸の生中継を見ていました。その中継で初めて出会ったのが「同時通訳」という仕事でした。
当時黎明期だったその職業を担っていたのが、西山千(にしやま・せん)さん。彼はヒューストンのNASAから流れるノイズだらけの音声を頼りに、アポロ11号のアームストロング船長との交信をリアルタイムで同時通訳していったのです。
名言の裏に隠された「通訳の難しさ」
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」この有名な言葉、英語ではこうでした。
“That’s one small step for (a) man, one giant leap for mankind.”
実はここに、“a”という不定冠詞があったのかどうか――が議論になったのです。西山さんは中継の音から“a”が聞こえなかったため、「for man=人類にとって」と訳しました。しかし文の後半で“for mankind(人類にとって)”と出た瞬間、「しまった!」と感じて、その後のニュースでは訳を「一人の人間にとって」と修正したそうです。
通訳の瞬間的な判断の難しさと、その背後にある集中力。私はこのエピソードを知り、完全に心を奪われました。当時“ I have a pen.”レベルの英語教育しか受けていなかった中学生の私にとって、西山さんの声は、まるで星のようにキラキラと輝いて聞こえたのです。
その瞬間、心の中で初めて芽生えた夢。「いつか自分も同時通訳者になる!」
これが私の原点でした。
FENラジオとアメリカへの憧れ
高校時代の1970年代前半。まだ1ドル=360円の時代。私は毎晩、米軍のFEN(Far East Network、現AFN)ラジオを聞きながら、アメリカへの夢を膨らませていました。
深夜0時、Station Breakのアナウンサーの声が響く――“This is FEN, the Far East Network, an affiliate of the American Forces Radio and Television Network...”
その後に流れるアメリカ国歌を聞きながら、心の中で誓っていました。「いつか絶対に、アメリカへ行くんだ!」と。
初めての通訳の仕事は“海の上”
20歳の夏。突然、通訳の仕事が舞い込みました。それは、その年(1977年)に世界中で新たに施行された200海里排他的経済水域(EEZ)の設定により、アメリカ、ソビエト水域での日本船団の操業を監視し、不当な拿捕から守るため、水産庁の監視船に同乗してアラスカ湾からベーリング海を75日間航行し、海上での水産庁監督官と米国コーストガードとの通訳をする仕事でした。
知り合いには、「借金を抱えてマグロ漁船に送られた」と冗談を言われるほど長い航海(笑)。でも、この経験が私の人生を決定づけました。
アメリカのコーストガードと接したとき、その船の大きさ、装備、彼らの体格、脅威と、日米の国力の差をまざまざと見せつけられ、「ダメだ、このままではダメだ。アメリカで本気で戦わなければ!」と強く感じたのです。
その年の10月、アメリカ企業への就職を決め、翌年渡米。友人たちからは、「あいつ、ついにおかしくなった」と言われましたが(笑)、私は本気でした。
通訳の夢は遠い、でも諦めなかった
最初はロサンゼルスのアメリカ企業で普通のサラリーマン。通訳の道は遠く、現実は甘くありませんでした。日本で学んだカタカナ英語の発音を直し、何度も壁にぶつかりながら英語を磨く日々。「この語学力で、本当に通訳になれるのか?」 「でもいつか通訳になるんだ」という夢だけを支えに働き続けました。
そして36歳。当時、夜間の通訳学校で学びながら勤めていた米企業が、日本市場のバブル崩壊を受けて、営業責任者だった私にリストラ勧告。これを機に、フリーランス通訳としての第一歩を踏み出しました。
最初の頃は、毎日翻訳で食いつなぎ、通訳は、誰もやりたがらない夜勤や急な代打、皆が避けるマイナーな分野でも何でも受けました。それでも、ようやく夢の舞台に立てた喜びの方が大きかったのです。
通訳という「道」
通訳の仕事は、体力的にも精神的にもきつい。でも、不思議なことに、苦しい現場ほど面白く感じる。ブースの中で原稿を頼りのプレゼンをスラスラ同時通訳するよりも、企業同士の厳しい交渉やクレームで、何が起こるかわからない“修羅場”を訳す方が、実は燃えるんですね。つまり、極限の緊張の中で自然と出てくる“妙訳”がある。
通訳って、まさに「道」だなと思う瞬間です。
通訳には“称号”がない
医師、弁護士、公認会計士…それぞれに立派な肩書きがあります。でも通訳にはありません。どれだけ勉強しても、どんな要人の通訳をしても、ただ「通訳さん」です。
だからこそ、私は思うのです。
通訳者は、自分で自分を褒めてあげることが大切だと。誰も「あなたはすごい」と言ってくれなくても、「今日の私はよくやった」と自分で認めてあげる。そこからモチベーションとさらなる成長が生まれるんです。
そして今、あのヒューストンに
あの日、西山千さんがいなければ、日本人は月面着陸の興奮をリアルタイムで味わうことはできなかったでしょう。この半世紀、多くの通訳者さんたちの尽力と貢献で、日本は先進国の中で肩を並べて、世界に後れを取ることなく、他国の成長にも貢献をしてきました。そして、今、私は通訳の仕事を通して、なんとアポロ11号が飛び立ったヒューストンに移り11年間も住むことになりました。これも、人生の不思議な縁ですね。
私はこれからも、「通訳道」を歩み続けていきます。
通訳という仕事に“称号”はありません。けれど、その一言一言に、世界をつなぐ力があります。今この時代、AIやZoom、翻訳アプリなど、西山さんの時代にはなかった数々のツールがそろっています。あとは、あなた自身の情熱と努力ですね。
“惚れ惚れするような訳出”を生み出す「スーパー通訳」を目指して。
通訳の道を歩むすべての人へ――
一緒に、この果てしない「通訳道」を進んでいきましょう。
次回もお楽しみに。
※以下のリンクは現在残っている数少ない56年前の月面着陸のNHKの実況中継の録画です。20:00からがアームストロング船長の月面着陸の中継です。一番重要な、「……小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」の名言部分の日本語訳の録音が残っていないのが残念ですが、その後の月面探索の専門用語の同通は今聞いても素晴らしいです。
by エディ先生
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通訳者の道を究めたかたの原点を知ることができました。
達人に早く楽になるためのマニュアルや指南書がありましたら教えてください。