「正確に訳す」だけが通訳ではない――MLB通訳に学ぶ「妙訳」の力

これまで何度か、AI通訳が進化する時代に、人間通訳にはどんな価値が残るのかについて書いてきました。今回は、一般の通訳者にはあまりなじみのないMLBの日本人選手の通訳に目を向けてみたいと思います。
MLBの通訳者の中には、いわゆる通訳学校や会議通訳の専門教育を受けた人は少なく、現場で野球の専門的な知識と表現を覚えながら、トレーニング、練習、ゲーム、インタビューなどで実践を積んで通訳技術を身に着けてきた人が大半です。81試合あるアウェーの遠征でも選手と一日中行動を共にし、野球独特の表現や選手の性格まで理解しているからこそできる、非常にユニークな通訳術が存在します。
そこには、進化するAI通訳に対して、人間通訳が価値を高められること、学ぶべきことがあるのではないでしょうか。
「言っていない名言」が教えてくれたこと
2025年のポストシーズン、ナショナル・リーグ・チャンピオンシップ・シリーズを前にしたインタビューで、ドジャースの山本由伸投手が「何としても負けるわけにはいかない」という趣旨の発言をしました。この言葉が英語では、“Losing isn’t an option.”と表現され、大きなインパクトを持ってアメリカで広まりました。
ところが、ここには面白い事実があります。この “Losing isn’t an option.” は、実は山本投手の通訳を務める園田通訳が、その場で実際に訳した言葉ではありません。
インタビューを受けて、ドジャースの公式SNSなどが英語で “Losing isn’t an option.” と表現したことがきっかけとなり、その後、米メディアやファンの間で山本投手の言葉として定着していったようです。園田さん自身も、後に「僕は言っていない」と説明しています。
その後がさらに面白い。2025年11月、ドジャースの優勝報告会で、山本投手本人がファンの前で、“Losing isn’t an option!”と口にしたのです。こうして、最初は本人が言っていなかった「名言」が、最終的には本人の口から飛び出すことになりました。
その後SNSでは、山本投手が実際には言っていない、いわゆる“ヤマモロー語録”まで次々と作られ、ファンの間で楽しまれるようになりました。例えば、
山本投手が実際に伝えた趣旨 | ファンが作った“ヤマモロー語録” |
ブルペンの負担を減らせるよう、少しでも長いイニングを投げたい | “Lock the bullpen door!” (ブルペンの扉を施錠しておけ!) |
監督やコーチを安心させられるように | “Roberts! Stay on the bench!” (ロバーツ、ベンチに座ってろ!) |
もちろん、これら数多くの名言は、園田通訳が実際に訳したものではなく、全てファンが勝手に作成しSNSから発信、拡散されたものです。
こうした「言っていない名言」が生まれた背景には、山本投手がポストシーズンで見せた圧倒的なパフォーマンスと、アメリカのファンが彼に抱いたキャラクターがあります。つまりファンは、「山本由伸なら、こんなことを英語で言いそうだ」と感じるほど、彼のキャラクターを理解し始めていたわけです。
通訳は、本当に「言葉を正確に訳す」だけでいいのか?
「何としても負けるわけにはいかない」をどう訳すか、例えば、これを忠実に英語にするなら、“We absolutely cannot afford to lose.”などが考えられます。意味としては正確です。一方、“Losing isn’t an option.”となると、少し違います。英語圏、特にスポーツの世界では、これは単なる「負けるわけにはいかない」という説明ではなく、「負けるという選択肢はない」と表現する、勝利への強い覚悟を示す「決め台詞」として響きます。
結果としてこの言葉は、山本投手のキャラクターと見事に重なり、ファンやメディアの間で強烈なインパクトを持つことになりました。
ただし、ここで大切なのは、この言葉を園田通訳が実際に訳したわけではないということです。だからこそ、この例は「優秀な通訳者がこう訳した」という話ではありません。むしろ、「日本語の強い決意を、英語圏のスポーツ文化の中で同じくらい強く響かせるとしたら、どんな表現になるのか」を考えるケースとして非常に興味深いのです。
2023年WBCで飛び出した「エグい」という名訳
もう一つ、今度は実際のMLB通訳者がTVのインタビューで訳した、私の印象に強く残っている例があります。
2023年3月のWBC決勝。日本がアメリカを3対2で破った、あの試合です。9回裏、アメリカの最後の打者となったのは、当時大谷翔平選手とエンゼルスでチームメートだったマイク・トラウト選手。大谷投手は、最後に大きく鋭く曲がるスライダーを投げ、トラウト選手を三振に打ち取ってゲームセット。
その直後のインタビューで、MLBのレジェンドで「ビッグ・パピ(Big Papi)」の愛称で知られるデビッド・オルティス氏が、大谷選手にその場面について質問しました。その言葉が、
“You guys are brothers now. Why you gotta get so nasty on him?” でした。
直訳すれば、「あなたたちはもう兄弟みたいなものなのに、どうして彼にそんなに意地悪するんだ?」となるでしょう。ところが、当時大谷選手の通訳を務めていた水原一平氏は、これを、
「トラウト選手と何年もやっている兄弟のような関係でめちゃくちゃ仲がいいと思うんですけど、なんであんなエグい球を投げたんですか。」
と訳しました。私はテレビでこのやり取りを見ていて、この的確な訳に、思わずうなってしまいました。
なぜなら、ここでnastyを辞書通りに「意地悪な」「嫌な」と訳していたら、ビッグ・パピの「大谷をいじりながらもあのスライダーの威力を称賛する意図」は、日本の視聴者に伝わらなかったからです。
野球では、“nasty stuff”、“nasty pitch”のように、nastyが「えげつない」「打者にとってものすごく厄介な」「とんでもなく打ちにくい」といった、投手の球を評価する意味で使われます。実際、この試合後、トラウト選手自身も大谷投手について、“He’s got nasty stuff.”と話しています。
つまり水原氏は、辞書からnastyの日本語を探したわけではありません。
「今、何について話しているのか」を瞬時に判断した。そして、nasty→「意地悪」ではなく→「ものすごい球」→日本語なら「エグい球」と置き換えたわけです。
これは、単なる単語の置き換えではありません。その場面で相手が感じているものを、日本語の聴衆にも同じように感じてもらうための訳です。
もう一つ印象的だったのが、同じインタビューの後半での、大谷選手を挟んでビッグ・パピと反対側に座っていた「A-Rod」ことアレックス・ロドリゲス氏とのやり取りです。
A-Rodから「子どもの頃、アメリカのどの選手に憧れていましたか?」と聞かれた大谷選手は、彼の大変生真面目な性格から、「このお二人もそうですが……」の後に、当時の思い出や、憧れの選手たちと同じフィールドに立っていることへの感慨を語り、話が長くなり、少し間延びしてしまいました。いやいや大谷さん、A-Rodとしては、まず自分の名前が一番に出ることを期待していたのでは?と思いながら聞いていました。
さすが、水原氏は、その長いコメントを英語にする際、「お二人」でなく、“It’s gotta be A-Rod, Big Papi...”とそれぞれ親しみのあるニックネームで即座に返す、もうその後の訳は不要なぐらい、二人とも大ウケで、楽しいエンディングになりました。
これは、単に発言を英語に置き換えるだけではなく、相手が最も喜ぶポイントを見極め、会話が弾むように伝える工夫とも考えられます。通訳の仕事は、話された言葉を再現するだけではありません。その場にいる人たちの気持ちをつなぎ、コミュニケーションを前に進めることも、大切な役割なのです。
以下はこのインタビューの動画です。
ビッグ・パピの”Nasty”発言は2:18から、
A-Rodの「誰にあこがれた?」という質問は5:35から
人間通訳ができる「妙訳」
私は、人間通訳ならではの強みは、この「妙訳」ではないかと思います。もちろん、通訳にとって正確さは基本です。話者が言っていないことを勝手に付け加えたり、自分の意見を入れたりしてはいけません。私自身も通訳学校では、「原文に忠実に、正確に訳す」ことを基本として、よく伝えています。これこそが、通訳者の判断力ではないでしょうか。
「この木、暴れている」をどう訳しますか?
こうした「妙訳」は、野球だけの話ではありません。例えば、製造や建設の現場で職人さんが、「この木、暴れているな」と言ったら、どう訳すでしょうか。“The wood is running wild.”ではありません。木が反っているなら”warping”、ねじれているなら”twisting”、加工中に動いているなら”moving”など、その場の状況を判断して英語での表現を選ぶ必要があります。
「刃が逃げる(The blade is deflecting.)」「おさまりが悪い(The fit isn’t quite right.)」「墨が甘い(The layout is off.)」も同じです。ここで重要なのは、言葉を単純に置き換えることではありません。その職人が、材料や道具を見ながら何を感じているのかを理解し、それを相手の言語で伝えることです。
これは、先ほどのMLB通訳にもそのまま当てはまります。
「今日は球が走っている」と選手が言ったとき、それが球速なのか、伸びなのか、球威なのか。通訳者は、その選手が何を感じているのかを理解したうえで、英語での伝え方を選ばなければなりません。
つまり、専門分野の通訳では、言葉そのものよりも、その言葉の裏にある「専門家の感覚」を理解することが重要なのです。
AI時代、人間通訳に求められるもの
AIはこれから、言葉を正確に、速く、安定して訳す能力をますます高めていくでしょう。だからこそ、人間通訳者はAIと同じ土俵で「正確さ」だけを競うのではなく、その先にある価値を考える必要があります。
今回の「nasty → エグい」のように、「この場面で、この話者なら、相手にどう伝わる言葉を選ぶべきか」を瞬時に判断する。AIも適切な訳語を提案できるようになっていますが、その場の空気や相手の反応まで読み取り、最適な表現を選んでコミュニケーションにつなげることには、人間通訳ならではの強みがあります。
「負けるわけにはいかない」の英訳は、通訳者がその場で生み出したものではなく、後に広まった表現です。しかし、日本語の強い決意を、アメリカのスポーツ文化でも同じように力強く響く“Losing isn’t an option.”(負けるという選択肢はない)と表現した点は、興味深い事例です。そこには、単なる言語の置き換えを超えた、文化への理解、人物への理解、専門知識、そして表現力の重要性が表れています。
もちろん、通訳者が勝手に話者の言葉を作っていいという意味ではありません。「正確に訳す」ことは、これからも通訳の基本です。
しかし、その「正確さ」には、二つの意味があると考えます。
一つは、話者が言った言葉を正確に再現すること。
もう一つは、話者が伝えたい意図やインパクトを、相手の文化の中で同じレベルのインパクトで正確に伝えること。
私は、後者こそが、AI時代に人間通訳者がさらに磨いていくべき能力だと思っています。MLB通訳から学べるのは、野球の専門用語だけではありません。「言葉を訳す」のではなく、「その言葉に込められた感覚と意図を訳す」。そこに、人間通訳ならではの「妙訳」の価値があるのではないでしょうか。
AI通訳アプリの進化の速さが気になる通訳者の皆さん。AIの精度を恐れるだけでなく、人間だからこそ提供できる価値を、今こそ磨いてみませんか。
「言葉を訳す」のではなく、「その言葉に込められた感覚と意図を訳す」。
それが、AI時代に人間通訳が目指すべき「妙訳」の一つの形ではないかと、私は考えています。
by エディ先生
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